追想の彼方

自然の中で、日々の暮らしの中で…移り変わり揺れ動く心の内を 気儘にも身勝手にも感じるままに。

吐息のくゆる その苟且を 追い擦るように

夜空を充たしながら
漂流していく 暗い雲塊を
腹の底に抱え
噴き出し続けるように
留まらず 
途切れもせず
疲れの欠片も見せない
重々しく、木霊する
機械獣の唸り



清潔に保たれた
近代工業施設
コンビナート設備から
飛びだして
入り組む迷路の中を
隅々まで潜り、通り抜け、
走り回り
等間隔 側壁点から
艶やかな灯りの撒かれた
角U字が引かれゆく
明陰、斑な景色を
眩惑の世界に浸す




  鼓膜を打つ
  鼓膜を掻く



  続けざまに


  その繊細な経路を
  辿り 増幅しながら
  無防備な脳髄に達し
  徐々に蓄積され
  意識を濁し、暈す



  時の刻む
  時の経る



  巻き貝の殻を
  耳許に添え
  澄ませている感覚が
  膨脹していき
  全身を包み込む




緩やかな
波のうねりが打ち寄せる
今では寂れた
何気ない、故郷の海を
思い出す
小さな漁港を囲う
人気のない波戸場
穏やかで
心地のよい潮風を浴びながら
その香を愉しみ
ぶらり 踏み進む



突端、ぼんやりと
ふいの目に映る
低く古めかしい灯台
夏宵に か弱く舞う
蛍火に似通い
安らかに拡縮する
和む光で 報せて


中ほど手前
右手には
引き潮に覗いた 磯間の
狭い砂浜が
さらりと滑る
月明かりに照らされ
鮮やかに
浮かんで、蒼白く



その先には
鉛銀に揺蕩う
伸びやかな海面が
得も言われぬ
しなやかさで 変化しながら
誘うように魅せ
背裏からの四方を
ぐるりと、取り巻く
喧騒のない
束縛もない
褐返の夜ばかりが
色深く染まり 遍く佇む



堤の縁に
ゆっくりと腰を下ろし
とても、潤しく
閑やかな波音に
何の躊躇いもなく
溢れ 吸われながら
瞼を閉じて
眠るように振れている




  揺りかごに、そっと
  寝かされ
  子守唄を囁かれるよう




  安堵に委ねる
  この胸は はらはらと
  散りほどけて




  いつしかそれは
  頗る、静かな
  沈黙へと 姿を変えた





規則的な信号音が
遠く幽かに聴こえ
少しだけ、しかめた眉間
鈍い瞬きを重ねる
すると 甲高く細い
耳鳴りに近い異音が
にじり寄る



濃い霧が
次第に晴れてゆくように
開く眼の上先に
コンパクトな
均四辺の目映い常夜灯が
猛る勢いで
突き刺すような
光芒を投げ放つ




我に返ると
そこには
克明に表示される
液晶のデジタル数形
深夜一時五十二分



暖房の効きも揮わぬ
仮設詰所のなか
ただ、雑多に
しかし
整然と配置された業務用具



無口な静物たちは
確固たる秩序を持ち
互いにその在り方を
認め合うように
微動だにしない




  しんしんと
  鋭い寒さが芯まで届く
  真冬の最中
   


  距離的な尺度では
  計れない
  果てなく延べる、長い夜




心の奥端 いつの間に
忘却に
攫われた記憶の
断片が詰め込まれた
透明なプラケースを
独り眺め
取り戻せない過去へ
呼ばれるままに
ほんの一時、
代わり映えのしない
素闇の彼方へ
游ぎ訪ねて 凭れていた




繰り返す
ゆったり

優しく そして無理のない
深い呼吸、深き呼吸



そっと
握りしめた
冷たい掌に
僅かばかり
余りにも、遠く
もう二度と繕えない
追憶に残された 
懐かしい温もりが
じんわり

這い、滲むように 
凍えそうな骨身へ 廻り伝わる
















※苟且(かりそめ)…
その場限りのこと。
ふとしたこと。ちょっとしたこと。


※褐返(かちかえし)…
褐色よりも深い紺色。
全体を深い藍で染めた色。

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