追想の彼方

自然の中で、日々の暮らしの中で…移り変わり揺れ動く心の内を 気儘にも身勝手にも感じるままに。

決然としない胸は内に秘めた己を放す

最西の果てに
沈んで泥む
降り陽から逃れるように
残照に映え
紅緋に燃え盛る
鬼顔犬が、翔る
紛紛と
ちぎれ火を
後に撒き散らしながら



その姿は
天井を
ぎざぎざ と
ざっくり 斜めに遮蔽された
宵寄り空に
高く引かれる
頑強な
鉄骨庇の下



左左、左側へ
奥へ 
しいん と
そのまた奥へ す、す と




  かぎり無く
  空白に近く
  継ぎ足されることのない
  微塵の侘しさが
  ただ、凭れた両肩に
  平たく揺れる
  四分間



  無味乾燥に
  鼓動を
  乗せて
  ゆっくりと
  虚空を吸い吐きしながら




ずれていく
駐停車禁止の
標識の表に
建物の角に沿い留まる
真っ白な縦配管の横を
そして
クリームグレイに塗られた
工場施設の
ぶ厚い壁のなかに


ずい、と
割り込むようにも


すうっと
溶け入るようにも


消えていく
消えていくだけ




  その
  突きだし、翳した
  拳固ほど下




遠景の
陰りに仕舞われた
なだらかな山並みと
精密に計測された
直線が
交わり結びつく、無機質な態の
度重なる風埃と雨垢で
薄茶けた
硝子窓の向こうに


腕をのばし
抉じ開けるように
しつこく
掻き毟り


脚をのばし
渾身の力を込めて
執念深く
蹴つり上げ


目の届かない場所まで
一切合切、
押し退けることが
出来たなら




  もっと
  ずっと
  進める限り、遠くへ流れ
  明後日の
  凡そ正しい三箇日が終える
  その時まで、あの鬼顔犬を
  追い眺めて
  居られたのかも
  知れない 等と




眼前
業務用デスクに置かれた
構内への
入退場者記録
一向に殖えない
乱雑な文字の
僅かな列を
定まらない視線で
見詰めている、と


馴染めない
余りに からっぽな
平和さ加減に
覇気の抜けた
肉体から
乖離した
もう一人の自分が
分節、印刷済の
コピー用紙の面へ




  油の滲む額を
  闇雲に
  幾度も
  こっ酷く打ち据えている




  そんな姿が
  淡く透けて、垣間見えた




二千二十一年
自業自得
衝突事故に見舞われ
半年分の記憶しか
残されていない、僕の
心の化身は


既に
とっぷり暗に侵された
この暮夜の何処かで
きっと
昨年の
舌先が痺れるほど苦い
厄をくわえて
今も漂いながら




じわり巡り、
狂気に
満ちた   
形相を露に 逃れ続けているに違いない














※鬼顔犬…読み方は、おにがおいぬ、きがんけんなど
     
 











...

愉しさの裏側にあるもの

  精も根も
  尽き果ててしまったように
  茫然と呟く




  「もう、駄目だ」




  僅か数個の記録文字さえも
  まともに書けない




  家族のために
  病に侵されながらも
  頑なに日々の職務を全うする



  半年と数ヵ月
  気兼ねのいらない
  愉快な同僚であり



  信を置く
  頼もしい、人生の先輩だった
  あなたの後ろ姿




  「何か良いことないですかねぇ」




  どうしても
  話すことが出来なかった



  それは
  余りにも儚く、美し過ぎて



  そして
  この胸がきつく捩れ
  破れてしまいそうなほどに
  悲し過ぎたから




吹き荒れる初雪は
正午すぎまで続いた
温かな雨の後
怒涛の勢いで
まるで
聖夜に向けて
逸るかのよう
慌てふためくような
急ぎ脚で
ど派手に立ち回る



高台に拡がる
工場敷地の
パイロンを悉く蹴飛ばし
僅か、三メートル四方の
休憩用テントの目隠し布を張る
ビニルロープまでも
引き千切った




  いつも何気に読んでいた
  構内への入り口で




太いコンクリート巨柱の
世界的流行病
感染予防の為の
取分け目に付く
注意書の張り紙も
いつかしら
剥がされ、消えている



角貫きの
トンネル通路には
様々なものが
呑み込まれていった
有り得ないほど強力な
その瞬間風速で
作業用手袋も雨合羽も
へたばりそうな神経回路も
鋭く走る 白き風と共に




  吹雪に逆らい駆けた家路
  日を跨いだ
  峠道の凍結が危ぶまれていた




まだ夜の明けない
滑らかな艶の抜け始めた
利休鼠に塗れる
藍空の下
凍結を免れた、峠の途中
憩い池に繋ぐ進路へ曲がり
通いの運転疲れを
冷たく煙る吐息に変え
漫ろと佇む



と 右手上目に眺めた
近頃、著しく眩い
電柱の外灯は
陰に潜まる雑木林を
照らしている筈なのに



無数に散る、
撒け綿の粒が
ゆらり
時の経つ随に埋め尽くす
あの伸びやかに晴れた日
いつかの
甘く進む自在雲が
砕けてしまったのか




  しずと、柔と
  眠れる場所を見つけ
  辿り着くよう
  舞い降りてゆく




そして俄に
宙空の闇面から
斜めに
突き刺すように注ぎ込む
許多の、冷たき勢兵たち
透き通る光の輪郭から
その、素早く
小さな朧身を
故国へ捧げるように



足元に濡れる脇道は
ぴしゃりと
実体のない
希少な小動物の悲鳴を思わせる
擦れ音をたてて
合成皮革の黒靴が
まばたきの都度、
より濃く
照らしだされて
重々と浮かび上がる



ふいに
歪んだアスファルトの両端を
視線でなぞった
側溝へ沿うように
うっすらと積もる
寒枯れて、刈られたまま
なだらかな伏草の上
二本の筋
白く、ずっと白く
光を抱くように鮮明で
闇と暗の間に
途切れず
弧を描きながら伝う




  前週の始めに知った
  朝の
  TVニュースで
  脳裡に巻き戻され
  ふたたび再生される
  あの日見た
  南の遠方に
  もう一度、仰け反る



  以来 記憶に焼きついて
  離れない



  双子座が零す
  細か
  二片を、刹那に
  ひとつは 短く掠れて
  ひとつは 長く目映く
  輝きながら
  きらり くるり
  と
  それは
  役割を終えた
  花弁のように
  淋しげに放れ、力なく崩れ落ちていった


   対




  銀の涙
















※勢兵(せいびょう)…
 えりぬきの武者。精鋭の兵士。せいへい。


※朧身(おぼろみ、造語)…
 霞んで、くっきりとは認識できない姿。

晴れやかな 残り夢に変えて

すっぽり包まる
毛布のなか
じわりと、返す吐息の 
暗がりに咲いた
清み解ける場景



 くっきりと
 知らしめるよう
 無調色の
 真珠色に 瞬き震える
 綺羅星の群れ



 そう、あれは
 冷たく澄んだ 峠の外れ
 高い頭上に開いた
 艶めく
 未詳のアンブレラ



 その遥か東向こう
 寡黙に廻る 眩い火輪は
 闇へ延べる
 地平の裏続きで、まだ
 うつらとしている




 静か
 ぐるりと見渡す
 揺るがない深紺のアーチ



 そっと
 瞳を留めた
 オリオン標座の際立つ姿




 傾いた
 広い手杵形のなかに
 くず星が散り
 斜を描く、三連星と
 細やかに引く
 点光の破線が もうひとつ
 宇宙のなかの
 小宇宙
 凝らして視れば
 不思議で奇異な天体図




どうして
今夕
夢みたあとに咲いたのか



眺めて
そして、逸らさずに
語りだす



薄れゆく 面影を重ね
想い
懐く胸が




やがてまた
明日に降り注ぐ
篠つく雨、弾き
心に覗いた 愁いを退け
隈なく
後ろむきな全てを
曝せやしない
秘めたるものまで
洗い浚い
遠ざけて きっと 逃れる為にと















※手杵(てきね)…太い棒の中程の、くびれた部分を握ってつく杵のこと。