追想の彼方

自然の中で、日々の暮らしの中で…移り変わり揺れ動く心の内を 気儘にも身勝手にも感じるままに。

愉しさの裏側にあるもの

  精も根も
  尽き果ててしまったように
  茫然と呟く




  「もう、駄目だ」




  僅か数個の記録文字さえも
  まともに書けない




  家族のために
  病に侵されながらも
  頑なに日々の職務を全うする



  半年と数ヵ月
  気兼ねのいらない
  愉快な同僚であり



  信を置く
  頼もしい、人生の先輩だった
  あなたの後ろ姿




  「何か良いことないですかねぇ」




  どうしても
  話すことが出来なかった



  それは
  余りにも儚く、美し過ぎて



  そして
  この胸がきつく捩れ
  破れてしまいそうなほどに
  悲し過ぎたから




吹き荒れる初雪は
正午すぎまで続いた
温かな雨の後
怒涛の勢いで
まるで
聖夜に向けて
逸るかのよう
慌てふためくような
急ぎ脚で
ど派手に立ち回る



高台に拡がる
工場敷地の
パイロンを悉く蹴飛ばし
僅か、三メートル四方の
休憩用テントの目隠し布を張る
ビニルロープまでも
引き千切った




  いつも何気に読んでいた
  構内への入り口で




太いコンクリート巨柱の
世界的流行病
感染予防の為の
取分け目に付く
注意書の張り紙も
いつかしら
剥がされ、消えている



角貫きの
トンネル通路には
様々なものが
呑み込まれていった
有り得ないほど強力な
その瞬間風速で
作業用手袋も雨合羽も
へたばりそうな神経回路も
鋭く走る 白き風と共に




  吹雪に逆らい駆けた家路
  日を跨いだ
  峠道の凍結が危ぶまれていた




まだ夜の明けない
滑らかな艶の抜け始めた
利休鼠に塗れる
藍空の下
凍結を免れた、峠の途中
憩い池に繋ぐ進路へ曲がり
通いの運転疲れを
冷たく煙る吐息に変え
漫ろと佇む



と 右手上目に眺めた
近頃、著しく眩い
電柱の外灯は
陰に潜まる雑木林を
照らしている筈なのに



無数に散る、
撒け綿の粒が
ゆらり
時の経つ随に埋め尽くす
あの伸びやかに晴れた日
いつかの
甘く進む自在雲が
砕けてしまったのか




  しずと、柔と
  眠れる場所を見つけ
  辿り着くよう
  舞い降りてゆく




そして俄に
宙空の闇面から
斜めに
突き刺すように注ぎ込む
許多の、冷たき勢兵たち
透き通る光の輪郭から
その、素早く
小さな朧身を
故国へ捧げるように



足元に濡れる脇道は
ぴしゃりと
実体のない
希少な小動物の悲鳴を思わせる
擦れ音をたてて
合成皮革の黒靴が
まばたきの都度、
より濃く
照らしだされて
重々と浮かび上がる



ふいに
歪んだアスファルトの両端を
視線でなぞった
側溝へ沿うように
うっすらと積もる
寒枯れて、刈られたまま
なだらかな伏草の上
二本の筋
白く、ずっと白く
光を抱くように鮮明で
闇と暗の間に
途切れず
弧を描きながら伝う




  前週の始めに知った
  朝の
  TVニュースで
  脳裡に巻き戻され
  ふたたび再生される
  あの日見た
  南の遠方に
  もう一度、仰け反る



  以来 記憶に焼きついて
  離れない



  双子座が零す
  細か
  二片を、刹那に
  ひとつは 短く掠れて
  ひとつは 長く目映く
  輝きながら
  きらり くるり
  と
  それは
  役割を終えた
  花弁のように
  淋しげに放れ、力なく崩れ落ちていった


   対




  銀の涙
















※勢兵(せいびょう)…
 えりぬきの武者。精鋭の兵士。せいへい。


※朧身(おぼろみ、造語)…
 霞んで、くっきりとは認識できない姿。

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